鈴木尚典ブログ:message

プロ野球 横浜鈴木選手のブログです



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2006年10月31日

野球漬け

 秋季キャンプが始まりました。通常の練習が10時から16時まで。その後に夜間練習が7時から1時間。文字通り、朝から晩まで野球漬けでした。打って、走って、投げて…、もう全部がしんどかった。腰、足、背中が重く張っています。今、このブログを書くのもままならないという感じです。
 明日は筋肉痛で大変なことになっていると思いますが、息つく間もなく紅白戦が待っています。ひたすら結果を求めていきたいと思います。ここで、もっと皆さんに報告したいこともあるのですが、本当に今日はきついので、もう寝ます。お休みなさい。。。

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2006年10月27日

勢い

 日本シリーズが日本ハムの44年ぶりの日本一で幕を閉じました。結果論で言うわけではありませんが、僕は第2戦に日本ハムが勝った時点でこのままいってしまうかもしれないなとも思いました。そのぐらい日本ハムには勢いを感じました。
 中心にいたのはもちろん新庄さんです。テレビを見ても分かりますが、いつも笑顔を絶やさないなど、シリーズ前に「楽しむ」といった言葉をそのままグラウンドで実践していたように見えました。その言動が指揮者のタクトになったように、北海道のファンが一体になってチームを後押ししていました。
 新庄さんが日本ハムに入団した年、オープン戦で久しぶりにあった時に話す機会がありました。新庄さんは「日本ハムというチームもイメージを変えたい」と言いました。僕が「新庄さんが入っただけで注目度が違います。今までとは変わっていますよ」と返すと、新庄さんは「そう?」って答えていました。あれから3年が経ち、日本ハムは本当に新庄さんの願い通りに大きく変わったと思います。
 プレーを振り返ると、勢いを象徴する場面が何度もありました。まず2番の田中選手がバントをする時、森本選手のスタートが早かったことです。捕ってから投げるまでの速さは12球団ナンバーワンの谷繁捕手でさえ、二塁送球が間に合わないシーンもありました。ピッチャーも勝負どころでコントロールミスが少なく、バッターは決して簡単ではないボールを見事にとらえていました。
 1998年に横浜が日本一になった時もそうでした。一投一打に歓声がわき、気持ち良くプレーできた経験があります。これと同じような雰囲気が札幌ドームにもあって、それが選手の力を引き出したのではないでしょうか。この勢いという見えない力は短期決戦では勝敗を左右する大きな要因になると思っています。
 来年は自分たちもこの大舞台で、そんな勢いのある戦いを見せたい。今回の日本ハムの日本一を見て、そう強く思いました。
 
 

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2006年10月25日

5年ぶりの秋

 今日、秋のキャンプ(沖縄県宜野湾市・10月30日-11月20日)のメンバーが発表されました。秋は本来、若手の強化に充てられます。ベテランは各自で調整を任されるのが普通ですが、その中に僕の名前がありました。森祇晶元監督時代以来、実に5年ぶりの秋季キャンプ参加です。
 今の僕は若手と一緒にポジションを争っていかなければいけません。参加メンバーでは最年長になりますが、若い選手と同じメニュー、いや、それ以上のことをやるぐらいのつもりでいます。練習日程は6勤1休ということです。中日がやっていましたが、横浜では僕の知る限り、なかったと思います。さらに1クールで3試合の紅白戦も組まれています。かつてないほどのハードな内容になりそうです。
 沖縄はまだ暑さが残っていると思います。それに負けないような熱い気持ちで、来年につながる自信を取り戻して帰ってきます。

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2006年10月23日

再生への第一歩

 今日から秋季練習がスタートしました。大矢監督の新体制の初日です。監督が前回指揮を執られた1997年の時のコーチや、その時選手だったコーチの方々も多く、強かったあの頃を思い出しました。まず監督は僕らに対し「礼儀、社会人としてのあいさつからしっかりやっていこう」と言われ、いい緊張感の中で始まったようにも感じました。
 この短いオフの間、僕は日本武道館でアメリカのプロレス団体WWEを観戦するなど、いいリフレッシュができました。浜松の実家でお墓参りも済ませてきました。そして最後の2日間は横須賀で体を動かし、今日に備えてきました。
 この秋は来年、レギュラーを取り戻すために、徹底的に体をいじめ抜きたいと思います。打つことも、走ることも、守ることも、ここ何年かのサビを落とします。もうこれ以上は無理というところで、限界を超えた練習をすると、余分な力が抜けて無の状態のようになれることがあります。不思議な感覚なのですが、その領域に入るところまで自分を追い込み、まずは1シーズンを戦い抜くための体を作り上げていきたいと思います。
 前にも書きましたが、大矢監督は98年日本一の土台をつくられた方だと思っています。今度は土台だけではなく、優勝までたどり着けるように。その戦力になれるように、充実した秋を過ごしていきたいと思います。

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2006年10月16日

大矢監督

 今日は来季の新監督に大矢監督が就任されると発表されました。1996、97年以来の復帰です。横浜は98年に日本一に輝きましたが、その土台をつくられたのが大矢監督だと思っています。テレビの解説などでもお馴染みですが、ソフトな語り口のイメージそのままに選手への優しさがあったことを覚えています。その半面、厳しさがあって、もちろん野球には熱かった記憶も残っています。
 僕が一度目の首位打者を取った時の監督なので、いいイメージがあります。選手として成長させてもらった、あの頃の気持ちに戻って、一からレギュラーどりをアピールしていきたいと思っています。

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2006年10月15日

今季から来季へ

 今日で今シーズンが終わりました。振り返ってみると、1月に右肩を痛めてキャンプ、オープン戦と満足に過ごせずに自分でレギュラーを取るチャンスを遠ざけてしまった気がします。開幕から出遅れてしまい、交流戦ではスタメンでの出番もありましたが、代打生活がほとんどでした。
 打率は3割2分9厘とそこそこ数字を残せました。今までレギュラーが当たり前の中でやらせてもらっていましたが、代打という限られた出番の中で勉強することも多かったです。試合にあとから入っていく難しさ、1打席で結果を求められる厳しさ、1本のヒットの重さ…。4打席与えられていたレギュラー時代にはできなかった経験が積めました。ただ、代打に甘んじているつもりはありません。皆さんからも多数「4打席立ってこそ鈴木尚典」という内容のメールを頂きましたが、もちろん僕も毎試合、4打席立つことを忘れてはいません。
 明日から1週間休みがあります。まずは体を休めます。それに精神的なリフレッシュも必要です。一旦野球から離れるこの期間をうまく利用し、また新鮮な状態で野球に取り組めるように気持ちをコントロールしていきたいです。バッティングの技術的なマイナーチェンジも考えようと思います。今日で2006年のシーズンが終わりましたが、同時にもう2007年のシーズンは始まっています。とにかく心技体、すべてを磨いてレギュラー奪回を目指します。
 チームは残念ながら最下位に終わりました。来年は新しい監督の下で巻き返しを図っていきます。プレーオフも導入されます。3位までに食い込んで優勝できるように、その中で戦力になれるように頑張ります。来年の今ごろは笑って迎えたいですね。
 ファンの皆さんには1年間、熱いご声援をありがとうございました。いつも打席に入った時には大きな声援を頂き、どれだけ勇気づけられたか分かりません。来年は、僕自身はレギュラー、チームは優勝でお返しできるように、と強く思っています。最後になりますが、このブログのホームのタイトルでもある「球道一心」の横断幕を掲げながら全国各地で応援してくださった私設応援団「全国星覇会」の方々、本当に今年1年ありがとうございました。また来年もよろしくお願いします。

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2006年10月13日

ネクスト

 ピッチャーとの勝負は打席に入った時だけではありません。ネクスト・バッターズ・サークル(次打者席)から始まっています。そこでの勝負は本番での勝負の結果を左右すると言っても過言ではありません。今日のヤクルト戦でもそうでした。
 1点をリードされた8回、僕がネクストにいた時、マウンド上には右の花田投手がいました。おそらく左の藤井投手に代えてくるだろうと思いながら、花田投手の投球に合わせてバットを構え、タイミングを取っていました。
 僕がコールされると、予想通り、藤井投手が出てきました。投球練習が始まります。僕は再び、ネクストに戻ってタイミングを取りました。そこで気付いたのですが、花田投手より藤井投手の方がタイミングを合わせやすかったのです。左打者には右投手より左投手の方が不利と言われているのですが…。理由は分かりませんが、単純に感覚的なことだと思っています。
 もともと僕は左投手に苦手意識はありません。ネクストでも何となくフィーリングが良かったので、いい状態で打席に入ることができました。それが同点のタイムリー三塁打を打てた一因だと思っています。打席に立つ前から、いい結果が出る方向に向いていたのかもしれません。
 今日は関東で最後の試合でした。ビジターの神宮球場にもたくさんの横浜ファンの方に来て頂きました。いつもより「尚典コール」も大きく聞こえました。そんな声援にお返しできるようなヒットを打てて良かったと思います。

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2006年10月09日

ラストホーム

 今シーズンの横浜スタジアムでの最終戦でした。出場機会はなかったのですが、たくさんのファンの方に来て頂いた中、勝利で締めくくることができました。
 区切りのゲームなので勝敗以外にも色々とありました。一人は今シーズンで引退する万永選手です。彼にとっては引退試合でした。僕とは同級生で仲も良く、試合前には「どうやって出るの」と聞いたら「1打席立つよ」と。「4打席立ちなよ」とか言い合っていました。来季は2軍のコーチに就任します。本人が決めた道で頑張ってもらいたいのと、もっと一緒にやりたかったという残念な気持ちも入り交じって、ちょっとしんみりしてしまいました。
 もう一人は今シーズン限りで退任される牛島監督です。この2年間、僕は力になりきれなかったので申し訳ない気持ちも残っています。最後にみんなで胴上げした時には、そんなことも考えていました。
 残り試合も本当にあとわずかになりました。パ・リーグはソフトバンクが第2ステージに進んだプレーオフが盛り上がっていますが、来年はセ・リーグにも導入されます。ベイスターズにも優勝のチャンスは広がると思います。2007年は10月いっぱい、横浜スタジアムを沸かせられるように頑張りたいと思います。

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2006年10月07日

首位を迎えて

 今日は中日を横浜スタジアムに迎えました。阪神と優勝争いをしている首位チームです。やはり選手たちからは独特の緊張感が伝わってきました。また、3連休の初日と言うことで、スタンドの熱い雰囲気も感じながらプレーできました。
 ベンチの采配もそうです。2点を追う八回でした。門倉投手に打席が回ってきます。相手は当然、僕が代打に出てくることを読んでいたと思うのですが、あえて右の平井投手が続投するかのようにマウンドに上がってきました。
 ここで僕が代打に告げられます。中日はシナリオ通りに左の小林投手を投入してきました(実は横浜にとってもこれは織り込み済みでした)。10月に入っても、こんな手の内を探りながら継投してくるのは優勝を目指すチームならではだな、と感じながら打席に向かいました。
 小林投手とは前回、3度目の対戦で初めてヒットを打ちました。今日はいい意味で精神的な余裕を持てました。そして左対左になることが予想できたのに、あえて僕を起用した牛島監督の采配を意気にも感じました。1-3と有利のカウントから、うまくバットが内側から出て左中間へのヒットに。ここからチャンスが広がって、最後は村田選手が逆転の3ランホームラン。そのまま3-2で逃げ切れました。
 今年、横浜は中日を苦手にしてきました。遅ればせながらですが、意地は見せられたと思います。結果的に、こうやって自分たちが頑張ることで中日と阪神のペナント争いも盛り上がってきました。横浜スタジアムでの試合もあと2試合です。パ・リーグはプレーオフが始まりました。セ・リーグの灯を消さないためにも、チームの来シーズンのためにも、今夜のような勝ちゲームを見て頂きたいと思います。
 

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2006年10月06日

左打ち

 昨日までの巨人戦の2打席、いずれも内野安打でした。僕は左打ちなので、右打者に比べると内野安打の確率は高いのですが、こんな打席が続くと改めてそのことを感じさせられます。
 僕は物心ついた時から左打ちでした。多分、バットを握ったのは3歳ぐらいからだと思いますが、右で打った記憶はありません。きっかけは父親でした。野球経験はありませんが、町内でソフトボールをやっていました。そこに母親に弟と一緒に連れられ、観戦していたことを覚えています。父は左投げ左打ちで「3番・一塁手」でした。その父親の背中を見ながら野球で遊んでいたので、自分が右か左かどちらが適性か分からないうちに自然と左で打っていました。
 そこから今に至っているわけですが、結果的に左で良かったと思っています。プロでは、左打者は左投手を克服しないとレギュラーを張れません。でも、僕は不思議と子どもの頃から左腕を苦にしませんでした。プロに入っても右投手を打てなくても左投手は打てた時期もありました。
 左打者が左投手と対戦する時の永遠のテーマは、外角に逃げるスライダーとカーブです(このブログで書いた中日の小林投手との対戦でも分かると思います)。右投手にはないこの軌道の見極めが最も重要で、これを打つにはとにかく右肩を開かないことです。僕の場合は、左投手と当たる時はこの右肩を開かないようと強く意識することで、理想のフォームに近づけます。だから時に、右投手より左投手を打てるという現象が起きるのだと思います。
 とは言っても簡単ではないと思います。皆さんのメールでも「どうやったら左投手を打てますか?」という質問が複数ありました。そこで、まずは今日からでも実行できる練習を紹介します。
 ティーバッティングをする時に左打者なら普通は自分から見て左側から上げてもらうのですが、これを逆に右側から上げてもらうようにします。いわば仮想対左投手の状況をつくるわけです。背中からボールが出てくるので、最初は戸惑うと思いますが、慣れればすぐにできるようになると思います。打てるポイントまでしっかり呼び込む癖もつくと思います。僕も時々、練習に取り入れているので、少年野球、高校野球の指導者の方は是非、試してみてください。
 左打ちの選手の皆さんは左投手だからと言って、苦手意識を持つ必要はありません。左投手を想定した練習を積み、逆に左投手だから打てるぐらいに強い気持ちを持って打席に立って欲しいと思います。 

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2006年10月03日

3割

 今日は3点を追う八回に豊田投手に対し、代打に送られました。追い込まれてからフォークボールを辛うじて当てたような感じでしたが、高いバウンドが幸いし、豊田投手への内野安打になりました。バッティングの内容はともかく、打率はこれでまた3割に戻せました。
 3割という数字にはある思い出があります。1996年のことです。僕は打率3割1厘でシーズン最終戦を迎えました。3割を守るために、欠場した方がいいという意見もありましたが、当時打撃コーチだった高木由一育成コーチには「若いんだから休むな。出て勝負しろ」と言われました。打者にとって3割は大きな意味を持つのですが、まだ24歳。余りその価値が分からずに、迷うことなく出場を決めました。
 結果は3打数無安打。打率2割9分9厘の最終成績が残りました。ヒット1本が出ていれば3割をクリアできたので、ほんのわずかな差で逃した悔しさが徐々に込み上げてきました。
 直後の秋のキャンプは燃えました。「3割打つのが好打者なら、絶対打ってやろう。1年後には必ず3割を打って、いいバッターと認められるようにしよう」と、練習には一層、熱が入りました。3割の意味を理解し、悔しさを糧にしたことが翌年の初の首位打者(3割3分5厘)に結びついたと思っています。
 以来、この3割というラインは常に頭の中にあります。首位打者を2度獲得し、周囲からは「3割は打って当たり前」という目で見てもらうようになったので、なおさらです。今も、たとえレギュラーではなく代打でも、3割以上を打ってシーズンを締めくくりたいと強く思っています。今日、打ち取られた当たりがヒットになったのも、僕の心の奥底にそんな執念があったからかもしれません。

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